父親であること

父親から父親らしいことなんてしてもらった記憶のない僕が父親となって、早いもので10年以上がたつ。

この10年で僕は成長したとは思わないけれど、確かに変わったと思う。一番大きな点は、父性の獲得だ。これまで周囲に小さな子供があまりいなかったこともあり、子供はどちらかというと苦手だと思っていたのだけれど、今では自分の子供たちはもちろん、子供たちのお友達や、道行く見知らぬ子供たちも愛おしくてたまらない。子供たちを連れて外出すると、よく子育てを終えた年代の女性が声をかけてくださるのだが、その気持ちもよくわかる。自分の子供が愛おしく思えるようになると、知らない子供も同じくらい愛おしく思えるようになるのだ。経済的な余裕があれば、恵まれない子を引き取って育てたいと思うくらいに。

その半面、この10年間僕は不安を抱えてきた。まるで卵から孵って初めて見たものを親だと思う雛鳥のように僕の後をついてまわり、愛情に満ちた目で見つめてくれる子供たちと接するたび、時々僕は申し訳なさに声にならない叫び声をあげそうになる。「僕は君たちが思うような善い父親なんかじゃない!」、と。

そんな時、結婚を前にした僕が、家庭における父親というものを知らないことについて不安を打ち明けた時に、とある人がかけてくれた言葉を思い出す。「お前はお前であればいいんだよ」、と。

その言葉に、僕は何度助けれられたか知れない。僕は、僕でしかありえないのだから、分不相応に背伸びしなくたっていい。善い父親であろうともがく僕をありのままで見せればいいんじゃないか、と今は思っている。

 

急にこんな自分語りを始めたのは、去る11月3日、僕たち夫婦の結婚記念日に、長男のまめ(10)がサプライズで自分のお小遣いからお花を買ってくれたからでして。

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この10年間僕がその場に立ちすくんでいた間に、この子は鼻歌を歌いながら、そんなちっぽけな父親のはるか頭上をスキップで越えていったような気がして、今まで感じたことのない幸福感を感じたのだった。

これからも、僕は善い父親であることはできないかもしれない。でも、善い父親であろうともがくことはやめないし、子供たちがそんな小さな僕を易々と越えていく手助けをしていきたい、と思っている。