逆上がりなんて出来なくたっていい

逆上がりは、「小学校学習指導要領」では5年生および6年生の項目に記載されている。日本で教育に取り入れられた歴史は大変長く、なんと大正2年に文部省が制定した「学校体操要義」に「尻上」という名称で取り上げられているらしい。以降100余年、日本の小学生たちを、「できる子」と「できない子」とに二分し続けたことになる。

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小学校時代、それほど運動が得意でなかった僕は、例によって「できない子」だった。小学2年で九九が言えない子が放課後に残されたように、小学5年で逆上がりを出来ない子は、放課後に補講のようなものを受けさせられた。夕暮れに仕事を終えた母と一緒に近所の公園まで行き、暗くなるまで練習をしたこともある。僕は、それでもやはり逆上がりが出来なかった。

僕が逆上がりが出来るようになったのは、小学6年の時だった。あれだけ一生懸命だった先生も学年が変わって逆上がりを指導しなくなり、友達も誰も逆上がりのことを口にしなくなった頃、なんの気無しに、公園の鉄棒で試しにちょっとやってみたら、出来た。特段の苦労もなく。多分あの時の僕には、先生から受けた100の指導より、母とやった100の練習より、1年の身体の成長が必要だったのだ。

 

あれから数十年が経ち、長男のまめ(10)は、現在小学5年生。あの頃の僕よりもよほど運動神経はいい気がするのだけれど、やはり「できない子」の側にいる。たまに公園に付き合って脚を支えてあげたりもするけれど、まだうまく感覚を掴めないようだ。

でも、それでもいいと思う。時々自分より小さな子がやってきては、器用にくるくると回るのを横目に見てプライドを傷つけられつつ、それでも見ていないところで何度も練習をしている姿を(見ていないフリをしながら)見ると、確かな成長を感じられて、少し誇らしいような気持ちになる。

逆上がりなんか出来なくたっていい。きっと、今の悔しさや積み重ねた努力は無駄になんてならない。君は今、目標に向かって努力する練習をしているんだ。これはきっと、逆上がりができるよりも、ずっとずっと大事なことなんだ。

 

そんな風に心の底からエールを送りながら、僕は僕のちっぽけなプライドから、隣の一段高い鉄棒で数十年ぶりに逆上がりに挑戦して、身体のあちこちを痛めつつ不恰好にぐるりと回ってみせた。学習指導要領が変わらなければ、こまめ(8)が逆上がりを習うのはあと3年後。それまでに、もう少しカッコよくくるりと回れるようになるつもりだ。